1995年、1万9000社が41万2000人余の労働者(内14%が大学卒)を雇用し、500億ドルの産物を生産していました。
その34%は輸出されています。
1990年代、工業の従事者の数が増減なしか減少ぎみである先進経済国(日本は2.4%増加で例外)と異なって、イスラエルではその数が16.8%増加しました。
1990~94年の間、イスラエルの工業生産の成長率は32.5%で、西側経済では2位でした(韓国は34.5%)。
1995年の工業投資は43億ドルで、24%の上昇を記録した全年の1994年に比べて10%の伸びでした。
工業で最も伸びを示したのは、ハイテク部門であり、1965年では工業製品の37%に過ぎなかったのに1985年には58%になり、近年では62%になっています。
ハイテク製品の約半分が輸出され、(工業輸出総額の66%に当る)、ハイテク以外の企業の輸出は39%でした。
1995年の工業研究開発費、6億5000万ドルの90%以上はハイテク企業に当てられました。
独自の科学技術の開発をべ一スにしたものが多い。
1970年代の、イスラエルの伝統的産業は、食品加工、繊維及びファッション、家具、化学肥料、殺虫剤、医薬品、化学製品、ゴム、プラスチック、金属製品などで、工業生産の殆どを占めていました。
ここ20年の間に、医療エレクトロニクス技術、農業技術、テレコミュニケーション、精製化学製品、コンピューター・ソフトウエア及びハードウエァ、ダイヤモンドの研磨加工などの分野で、世界の最先端をいくようになりました。
その中で成長率の最も高いのが、研究開発投資が大きく、資本集約的で高度の生産技術を必要とするハイテク関連産業です。
イスラエルの工業は、100年前に始まる農業用機具の生産と農産物の加工から次第に成長し、多岐にわたるダイナミックな産業に発展したのでした。
第二次大戦中(1939-45)、この地の連合軍は、衣服や缶詰食品を中心に各種製品を多量に必要としました。
これがひとつの刺激になったのは間違いないが、本格的な工業化は60年代の初めからです。
50年代は、農業開発、産業基盤づくりに努力が結集されました。
国内に天然資源はほとんどりません。
そこでイスラエルは、質の高い労働力を利用し、付加価値性の高い分野へ進みました。
現在イスラエルは食糧のほとんどを自給しています。
一部輸入に依存しているのは、穀物、オイルシード、肉、コーヒー、ココア、砂糖であるが、農産物輸出のほうがずっと多いです。
農作物は、乳製品、鶏肉、各種切花、果物、野菜などが主力です。
冬期には、温暖地域の特性を利用して、輸出用のバラ、カーネーション、メロン、トマト、キュウリ、胡椒、いちご、キウイ、マンゴ、アボガド、柑橘類などが生産されています。
イスラエルの農業が発展L,た背景には、生産者である農家と政府に援助された研究者との密接な協力関係があります。
技術革新、潅慨新技術、革新的な機械化技術など全ての農業分野で、応用側と研究開発側との協力が盛んです。
GNPに占める農業の割合は、11%(1950年)から3%(1990年代)に減少しています。
一方、輸出に占める農業製品輸出の割合は、60%から3%となりました。
もっとも、革新的な農法、輸出向けの農産物の導入によって、絶対額は2000万ドルから7億4000ドル(1995年)と拡大しています。
イスラエルは、乏しい水と砂漠という不利な条件を克服し、多年に及ぶ苦闘の末に世界の先端をいく農業を育てあげました。
19世紀後半、ユダヤ人たちが父祖の地に再定着を開始したとき、まず初めに不毛の荒野を肥沃な畑にすることから着手しなければなりませんでした。
イスラエルが独立してから、耕作地は110万エーカーとなり、潅概地も60万エーカーに増えました。
この成長は1980年代、水の大不足と都市化の波のため、停滞しました。
この間農業共同体(キブツ、モシャブなど)の数は400から750に増えたが、都市化現象のため農村人口は12%から6%ほどに減っています